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間違った体育会的な根性論は要らない

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持論です。

間違った体育会的な根性は要りません。

特にこれからの社会には必要ないです。

がんばりは評価軸として正しくない

先に申しておきますが、ぼく自身はめっちゃ文系人間です。

ただし、スポーツもするし、わりと色々頑張るし、ここぞというときに集中して努力するタイプです。

特に、自分自身の中でハマったときはとんでもなくやります。

ここで言う間違った体育会的な根性論は、本当にどうかしていると思うところですので、体育会系の人が嫌いとか、ダメだとか、そういうことを申し上げるつもりは一切ありません。

 

先日もぼくが風邪を引いた際に書きましたが、風邪で会社を休む場合。

体の調子が明らかに悪いとわかっているのに、なぜかがんばって出社してくる人。

上司・同僚が「無理するな」と止めているにも関わらず、それでも来ちゃう人。

それがどれだけ迷惑になるのか、考えていないパターンです。

もちろん、抱えている案件の重大さによってはそうせざるを得ないのかもしれませんが、それにしたって限度というものがあるでしょう。

まわりにうつしたらどうするつもりですか?

まわりにうつすことで、全体の仕事に影響することを考えていますか?

体調管理も仕事のうちかもしれませんが、なってしまったものは仕方ありません。

思い切って休む決断をすることも、ぼくは重要だと考えています。

 

がんばることが評価される時代だったら良かったかもしれません。

「風邪くらいで休まない」とか「風邪なんて関係ない!仕事優先だ!」とか。

そんな「がんばっている」アピールさえしていれば、まわりが認めてくれるのですから。

未だに日本企業ではこの文化が根強いかと思いますが、外資系だったり、進んでいる企業さんだったりすると、ひたすら「がんばる」だけというのは評価軸として正しくないことが理解できますよね。

個人的な感情だったり、まわりの見た目だったり、発言内容だったり、ものすごくあいまいな基準で判断するなんて、時代錯誤もいいところです。

会社に出てくることがそんなにえらいですか?

毎朝集まっていることが大事ですか?

そんなことをまだ続けているのだとしたら、それこそ無駄ではありませんか。

そこに価値基準を置いているのだとしたら、他企業にどんどん追いぬかれますよ。

 

個人も同じで、そこはがんばるところじゃないのに、なぜだかがんばってしまうのは、もうナンセンスとしか言いようがありません。

健康管理をすることが一番ですが、自分の具合を正しく判断できないようでは、正しく判断できる他人に抜かされますよ。

まぁ、健康は競うところではありませんが、そういう小さなところの積み重ねって、意外と響いてきますよね。

そんな自分に酔っているというのなら止めませんが、結局中身がなければ先がありませんから、時間の問題で取り残されますね。

そもそもがんばらない人なんていない

社会にでると「とにかくがんばれよ」「もっとがんばれよ」「ひきつづきがんばれよ」などとよく聞くかもしれませんが、こんなあいまいな言葉で鼓舞されて喜ぶ人なんていませんよね。

そもそも普段からがんばらない人っているのでしょうか?

みんな、生活のためだったり、家族のためだったり、事業を成すためだったり、目的があって一生懸命働いているはず。

そこにわざわざ「がんばれ」というのは、なにかおかしくないですか?

ものすごく違和感を覚えるのはぼくだけでしょうか。

 

もちろん、時々しか話さない人に言われるのと、毎日話す人に言われるのでは意味は違ってきます。

後者から「がんばれ」と言われたら、「毎日何見てんねん!」と言いたくなります。

誰に対しても「がんばれ」としか言っていないところを見ると、それ自体ものすごくレベルの低い言葉に聞こえます。

 

せめて、自分が使う言葉の意味と向ける相手については、よく考えておきたいですね。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980年4月生まれ。東京都出身。ギター弾き×Webライター×ブロガー。 ブログを書きまくってたら会社を辞めることになりました。それを期に好きなことだけして生きています。 自身の好きなこと・スタイル・考えなどを発信中。 ⇒詳しいプロフィールはこちらから。