消費より生産する方が絶対に楽しい。
毎日の生活をする上で、あらゆるものを消費しながら生きています。
食材、日用雑貨、電気・ガス・水道など、たくさん使っていますが、どれも必要なものばかりです。
そうやっていろんなものを消費しなければ生きられませんが、ちょっとがんばれば作れるものってたくさんあります。自家農園で野菜を育てたり、川の水を濾過して飲んだり、最近では電気を自分で確保できるようになってきましたよね。
手間はかかりますが、自分でできることは結構たくさんあります。それをおもしろいと思えるかどうか、そこにかける時間が惜しいかどうかが判断のポイントになるでしょうけど。
ぼくはDIY好きなので、できるかぎり自分の手でなんとかしたいと考えています。お金をかければかんたんに買えるのはわかっていますが、いまあるものを活かすことができれば、資源を有効活用できますし、なによりそのものに愛着を持つことができますよね。
そういう感覚を覚えると、お金や資源を消費するよりも、自分の手で作り出すほうが絶対に楽しいと感じます。
お金で払えば「時短」にはなるけれど「消費」にしかならない
忙しい現代人にとって、時間はとても貴重な資源です。誰でも1日24時間しか与えられていないので、どうがんばってもこれ以上は手に入りません。
それならば、その時間を有効活用するべく「時短」をしたいと考えるのはごく自然なことです。そのためにお金を使うのはとても有効な方法です。
お金を払えば本来かかるはずだった「時間」を買うことができます。
- 惣菜を買ってくる = 料理しなくてもおかずが食べられる
- 清掃サービスを使う = 掃除しなくてもきれいになる
こうすれば、ここにかかるはずだった時間をほかのことに使えますよね。
現代人の「忙しい」に合わせたサービスを提供するというのは、とても理にかなっています。
でも、これも立派な消費です。
本来自分でできることをお金を払ってやっているのですから。
消費では豊かになれない
消費することによって生活が成り立っているのはよくわかるのですが、それが「豊か」かどうかはまた別の問題です。
金銭的に豊かになっても、生活が豊かだとは限りません。
その生活を維持するために大量に消費していたら、一向に豊かにはなれないでしょう。
それがいやでモノがあふれた部屋から断捨離をする気持ちはよくわかりますし、自分もやってきましたが、断捨離自体もある意味では消費ですよね。
本来、増やさなくてよかったものを改めて捨てるのですから。気が付いただけよしとするべきなんでしょうけどね。
豊かな暮らしをしようと思ったら「生活そのもの」を作ろう。
なにも今日から農業をやろう!という話ではありませんが、人間らしく生きようと思ったら「自分でできることは自分でやる」のがいちばんいいとぼくは考えています。
「仕事で時間が取れない」「そんな暇はない」というのもよくわかりますが、豊かな暮らしをしようと思ったら「生み出す」ことは避けてはとおれないでしょう。
もっと言うと、自分の手で「生活そのもの」を作ることは豊かさへ直結しています。
必要なものはすべてひととおりそろっている状況ですが、「作れるものは作る」というスタンスはこれからの時代の中でかなり求められる要素になるのではないでしょうか。