そんなに自由人ではありません。
「ヤスミさんっていつも自由ですよね」
友人や後輩たちから、よく言われます。
そんなに自由にしているように見えるものなのか?と思うのですが、ちょこちょこ言われるので、そう見えるんでしょう。
本人にはまったく自覚がないので、これを言われても困るんですけどね。
いやいや、ちゃんとピシッと生活してますよ。
朝起きて、夜寝てますし。
家の中の仕事をこなしたり、手伝いしたり。
自分の時間を確保しつつ、そういうこともやってますよ。
ほら、別に自由でもなんでもない。
自由に発想して動いてます
こう言われてみて、思い当たるところがあるとすれば、それは「 自由に発想して、自由に動いている 」点でしょうか。
たしかに、あらゆる可能性を考えて、そこから試してみて、いい方法を見つけて進めるのは得意です。そういうのをやるのが好きなんですよね。
逆を返せば、非効率なことをやらされるのが嫌なだけですし、既成概念に捕らわれて「これしかない」みたいなやり方が大っ嫌いなだけです。
いろんなやり方を考えずに、たった1つしか方法がないとか、どんだけ凝り固まっているんだよ…といつも思ってます。
ぼくが気乗りしない感じのときは「そういう仕事は他の人にお願いしてくれ…」と本気で思っているからですね。
ぼくが自由なんじゃない。みんながゴリゴリに固まっているだけ。
ぼくのことを指して「自由だ」と言われるわけですが、ぼくからしたら、そういう風に言ってくれる人たちがゴリゴリに凝り固まっているだけです。
ゴリゴリらっすよ。
いろんな人がいて、いろんな考えがあるのに、「やり方はたった1つだけ」なんておかしくないですか?
10人集まったら10通りのアイデアがあっていいですし、それくらいいろんな可能性を考えて行くほうが、最終的にはベストな選択ができます。
ときには今あるその方法がすでにベストだという場合もありますし、ときには方法を模索している時間がない場合もあるでしょう。
そうでない場合は、本題の前提部分でもっといろいろ検証・準備するべきです。
そこで本質を見極められれば、より具体的な対処方法が選定しやすくなりますし、ある程度アタリのついた方法を試すことができます。
最初から「これしかないから」と思っている時点で、超ゴリゴリのカタブツですよ。
もっと頭は柔軟に使って、常にいろんな可能性を考えてみるべきではないでしょうか。
というわけで、自由な発想が大事!という話でした。