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「ちゃんと泣く」時間の大切さ。

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久々に、という表現が正しいかはわかりませんが、先日お葬式に参列する機会がありました。

故人を想い、1人いなくなってしまったことに遺族・親族は涙を流し、悲しい空気に会場が包まれて、非日常的な時間が過ぎていきました。

でも、この時間にこそ意味があって、とても大切なんですよね。

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ちゃんと泣くことの大切さ

泣くという行為は、ちょっと特別です。

悲しくて泣く、辛くて泣く、感動して泣く、嬉しくて泣く、感情が高ぶって泣く、などなど。たくさんの「泣く」がありますが、理由は違えどどれも等しく涙を流す行為です。

そのままでは表現しきれなかった気持ちや感情を泣いて表に出すことで、ぼくたちは気持ちを切り替えたり、さらに高めたり、落ち着かせたりしていきます。

もちろん、泣くことは強制ではないし、そういう場面に出くわしても泣かない人だっています。泣いたから良いとか悪いとか、そういうものでもないですし。

ただ、泣けるときに泣くというのは、言葉では表現しきれなかった溢れ出る思いを外に出すことができるので、その人にとってはこうしないと心が落ち着きませんよね。

 

今回のお葬式に参加していて思ったのはまさにそこで、お葬式=人が亡くなる=悲しいから泣いているというのはよくわかりますが、式をとおして「ちゃんと泣く」時間があることは、残された遺族・親族が気持ちを切り替えてこの先も生きていくために必要な時間なんだと改めて実感しました。

そもそも、式自体が故人との最期の別れの時間です。このときを逃したらもう会えない、つのる思いや感謝の気持ちを面と向かって伝えられないとなったら、この時間が無かったらそれぞれの中で区切りがつきません。

そういう意味で、悲しい時間ではあるけれど、この機会と時間を用意することは大切なんですよね。

 

泣くことは悪いことなんかじゃない

古き良き日本の文化の中に「男子は涙を見せるな」みたいな教育論がありましたよね。

武士道の延長線上にある考えなのかもしれませんが、もう時代が大きく変わっています。「泣くやつは弱い」と言われる時代はとっくの昔に終わっています。未だにそれを言う人がいたら、きっと武士ですね。

ただ、どちらかというとそういう「個人の感情は抑えておくのが美学」みたいな古い観念に縛られている人は多いかなぁという気がします。

ぼくも含まれますが、感情を表に出すのが苦手な人って実は結構いますよね。反対に若い人ほど感情表現が豊かだったりもしますし。そういう自然な表情を表に出せるところは大きな魅力ですよ。

 

ぼく自身、最後に泣いたのっていつだろう?というレベルです。

あー、昨年末にちょっとありました…というくらいで、まずないですね。

泣いたから良いとか、泣かなかったから悪いとかではありませんが、ぼくの場合は感情を思いっきり外に出すことがないのでしょう。

だから、そういうときにおもいっきり泣ける人って、ちょっとうらやましいです。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1980年4月生まれ。東京都出身。ギター弾き×Webライター×ブロガー。 ブログを書きまくってたら会社を辞めることになりました。それを期に好きなことだけして生きています。 自身の好きなこと・スタイル・考えなどを発信中。 ⇒詳しいプロフィールはこちらから。