捨てるだけでいいっていうもんじゃないでしょう。
シンプルに生活するだけがミニマリスト?
「断捨離」や「ミニマルな生活」みたいなものが叫ばれるようになって久しいですが、これって変だなぁと感じています。
なんというか、一方通行なんですよね。
捨てる・断つ・止める・集約するなどの方法でいまあるもの・ことをどんどん小さくシンプルにしていくのは時代の流れかと思いますが、はたしてそれだけで幸せなのかな?というのが疑問に感じるところです。
いや、いいんですよ、それぞれが好きにやれば。
でも、あれもこれもとおもいっきり断捨離した部屋の写真とか見せられても、ぜんぜんワクワクしないんですよ。
逆にその「なにもなさすぎる空間」がかえって怖いです。
それで満足…という人を止めたりはしませんが、ぼくはそれではちっとも楽しくないですね。
シンプルに生活したいとは常々思っていますが、あれもこれも根っこからバッサリ切り捨てる生活はぼくには合わないです。
かつて「断捨離だ!」と思ってバサバサと色んなものを捨ててみましたが、当時はそもそもモノがあふれていたので明らかに余分だったものが捨てられたのですが、それをやったいまは状況が違います。
捨てるというよりは「本当に必要なものだけに絞る」という作業のほうが大事なんじゃないかと。
言葉のアヤかもしれませんが、それをやれば自分がやりたいことがはっきりする空間を作ることができますよね。
豊かさが増えなければミニマルじゃない。
断捨離やミニマルな生活をやったところで、自分が豊かになっていないければ全く意味がないです。
削るだけ削っても、その分なにかが得られなければ身が細ってしまいますから。
もっというと、豊かさそのものが増えていなければミニマルではありませんよ。
ちょうどイケハヤさん @iHayato が同じような…というか、さらに強烈なことを書かれていました。
→ミニマリストやめました。まだウサギ小屋で消耗してるの?|まだ東京で消耗してるの?
都会的なミニマリストは、消費社会に依存しています。それは大きな視野で見れば、ちっともミニマル(最小限)ではない。
田舎なら、消費社会からの依存を脱却して、より「ミニマル」で暮らすことができます。
そのためには、ある程度の生産設備が必要なのです。草刈機ないと作物も育てられませんからねぇ。
納得。非常に納得です。
こういう生活にならなければ、ミニマルを極めているとは言えないですよね。
というわけで、ぼくはそっち方面へ進んでいきます。
東京的ミニマリストのみなさんはいかがですか?