責任のない応援は誰のためにもならないですよね。
無責任な言葉ほど相手を傷つける
事あるごとに使われる「ふんばれ」「がんばれ」。
よく言われますよね。
たしかに気を使ってもらえるのはありがたいのですが、でもこれはダメでしょう。
「がんばれ」のほうは、言葉そのものがすでにがんばっている人に送られていることが多いことと、そんな人に対して「がんばれ」っていうのはおかしいですよね。
「ふんばれ」も同様で、苦しい状況にある人に対して「もっとふんばれ」「今は耐えろ」なんて言ってしまったら、その人はパンクしてしまいますよ。
応援したい気持ちはわかります。でも、同僚や後輩が相談してきたときに必要なのはその人の考え・気持ちを聴いて寄り添うことなのに、それに対してヘタに応援してしまったら、言われた方は一体何をすればいいのかわからなくなってしまいます。
もし相手の状況に気が付かず、無意識のうちに「ふんばれ」「がんばれ」と言ってしまっているのだとしたらものすごく危険です。応援しているつもりが相手をより苦しめてしまうかもしれません。
もうほぼ事故みたいなものですが、そんなリスクを背負っている意識なんてありませんよね。
だから怖いんですよ。
本気で応援したかったら違う言葉を使うべき
相手を本気で応援しようと思ったら、もっと違う言葉をかけるべきです。
「がんばれ」「ふんばれ」という言葉にまとめてしまったら苦しいだけですが、違う言葉に置き換えることができたら、それは相手を思う言葉になりますよね。それが何がいいのかはそのときにならないとわかりませんが、無責任にいう言葉でなければいいですよね。
応援する側に「責任取れ!」というつもりはありませんが、誰だって相談されたら一生懸命対応しようとするじゃないですか。そのときにかんたんにまとめようとしなければ、それでいいんですよ。
そもそも、相談されたのなら相手の気持ちを聞くところから始めなければ問題解決の糸口は見つけられませんし、見当違いの言葉をかけてしまうことにもつながりかねません。
そういう意味では、言葉をかけるよりも前の段階が重要とも言えますね。
というわけで、ぼくが最近特に感じている理不尽な言葉について書きました。
適当に言っているつもりがなくても、相手にはそう聞こえてしまう言葉ってたくさんありますから、ぼく自身も気をつけないとなぁと思っていますけどね。
一見かんたんなようで難しいところですが、先輩・上司やリーダークラスの人たちにはぜひ理解して欲しいです。
それだけで、少しでも多くの人が精神的に助けられるはずですから。