よく聞く言葉に「空気を読む」なんてのがありますが、あれってそんなに重要なことなのでしょうか?
読めたらエラい?それが普通?
ぼくは間違っていると思っています。
なぜ空気を読むのか
いつからこんな言葉が出てきたのかわかりませんが、気が付いたら誰しもが使っていた「空気を読む」というフレーズ。
「まわりの状況を見てから発言してよ」「今それをいうタイミングなのか」などなど、周囲や現在の状況を把握してくれよ!と言いたいシーンで使われます。
これを言われてしまった人は、ふと周囲の状況を見てシュンとしたり、静かになってしまったり、様々な反応を見せてくれますが、だいたい悪い方の意味で使われる言葉です。
この言葉を使う方の真意が如何ほどかはわかりませんが、共通しているのは相手に対して「まわりに合わせてほしい」という要望ではないでしょうか。
そして、その根本にあるのは、集団の中で全員が同じ方向を向いていなければダメだという暗黙のルールではありませんか?
確かに、上に立つ方から見たら、全員が同じ方向を向いている方が統率しやすいし、正直そのほうがラクですよね。
みんなでやっているのに一人だけ違うことをやっている・考えているというアウトローみたいな人を許せない、そんな風に思っていませんか?
でもそれ、他人が規制すべきことではありません。
それに、相手の真意がわからないまま強制してしまったら、何にも理解できずに物別れになってしまいます。
どこまで周囲に合わせるのか
じゃあ、個人がどこまで周囲に合わせて、どこからは合わせなくていいのか?という問題。
その人のスタンスがあるのなら、その方がまわりに「私はこうなんだ」と言ってくれればまだ理解しやすいですよね。
ただ、集団の中でそれを貫くのはなかなか難しい。
それならば、どこまで出来るか・出来ないのか、その線引を見つけてみてはいかがでしょうか。
周囲に合わせなくても出来ることと、周囲に合わせて出来ること。
その反対もありますが、集団生活の中ではどうしても他人が関係してしまう以上、一人で生きていくことは出来ません。
だから、自分にとってちょうどいいバランスを見つけることが大事ではないでしょうか。
「自分を曲げろ」ではなく、自分の考えに沿うためにはどうすればいいのか。
逆に「あの人は合わせてくれないから頼れない」ではなく、「どうすれば頼めるのか」「どうだったら良いのか」そこをお互いに知る必要があります。
ここは重要なところですから、じっくり話し合って、ちょうどいいバランスをお互いに理解し合える貴重なチャンスです。
必要以上に空気を読まなくていいじゃない
「まわりの雰囲気がこうだからこうしてよ」「今はこうするべきだ」という状況がゼロではありませんが、全部が全部まわりに合わせていたら疲れてしまいます。
そして、必要なことは言わなければならないし、実際に行動しなければならない場合だってあります。
だから、いっそのこと必要以上に空気を読まなくていいじゃないですか。
空気を読むのではなく、ちゃんと確認することの方が大事ですし、するべきことはしっかりやって、やるべきことをやるための時間を作る・そのために動く方が重要です。
大事なのは、やっぱり話しあうこと。
話し合って、どうしたいのか・なにを思っているのか、どんどん伝えていくべきです。
「話しかけてはいけない空気」なんてものがもしあったら、そこで終わっちゃいます。
遠慮せずに話しかけて、相手が思っていること・本当にやってほしいことを引き出して、納得して生活するのが一番です。
もし、話し合ってもダメならば、さっさとその集団から離れることをオススメします。
無理してまでしがみつく必要、ないですよね。
「空気を読む」ことに集中していないで、わからなければどんどんまわりに聞いてしまいましょう。
そして、自分を理解してもらいましょう。
それこそ、その方がはるかに簡単でラクですから。