ぼくの生き方そのものが「これからの生き方」のロールモデルです。
先日、会社員時代の同僚に会ったときに、こんなことを言われました。
- 「あなたの考え方は一般的ではないし、他人とは全然違う」
- 「似たような生き方・考え方をしている人が他にいない」
- 「生き方そのものが、これからの生き方のロールモデルみたい」
そういえば、その昔に後輩から「考え方が人と違いすぎる」と言われたことがあったっけなぁ。
でも、本人がそう思っているのだから仕方ありません。それが先端を行っているのかどうかなんて、自覚ありませんしわかりません。でも、他人から見てそうだとしたら、きっとそうなんでしょう。
というわけで、堂々とこう思うことにしました。
ぼくの生き方そのものが「これからの生き方」のロールモデルなんだ、と。
ぼくの生き方・考え方は特別でもなんでもない。あるとすれば、壮絶な経験から得た危機感だけ。
ぼくの生き方・考え方は、特別でもなんでもありません。
でも、こうなった原因があるとすれば、過去に2回ほど壮絶な経験をした結果、並々ならぬ危機感を得たからなんですけどね。
- 会社からクビを宣告されたこと。
- 会社を辞めると言ったあとに壮絶なパワハラにあったこと。
1回目。会社からクビを宣告されたこと。
1回目のときは、突然ものすごく理不尽な言われ方をしました。
そのせいでアタマが真っ白になって、それまでの自分自身を否定するかのごとく、ものすごく自分で自分を追い詰めてしまいました。
あのときは、これからどうやって生きていけばいいんだろう…会社を辞めさせられたらどうすればいいんだろう…と、ひたすら悩んでしまいました。
2回目。会社を辞めると言ったあとに壮絶なパワハラにあったこと。
2回目は、2016年11月に退職する前の出来事です。
会社を辞めると打診したのは6月なのですが、そこからどうやっても辞めさせてもらえなくて、しかもその間相手からはずっとパワハラを受け続けているんですから、ヒドいなんて言うものではありませんでした。
でも1回目のときのような、どうにもならないようなツラさはなかったんですよね。確かに、アタマが真っ白になったり、鬱っぽくなったりもしましたが、変な話それ以上おかしくなることはありませんでした。
自分がやりたいこと・行きたい方向が心に決まっていたおかげで、なにを言われてもそこからブレなかったんですよね。
2回の経験をとおして得た「危機感」と、セルフメディア学のおかげで生きている。
1回目の経験をしたすぐ後に、ノマドワーカー・安藤美冬さんの「セルフメディア学」を知って、そこに救いを求めるがごとく、すがる思いで参加した結果、「組織に捕らわれないで自由に生きていいんだ」というシンプルな答えを得ることができました。
ただ単に答えを得たのではなく、自分の中でなにかがスッと溶けていく感覚を得られたんですよね。腑に落ちたという表現が適切でしょうか。このおかげで、ぼくはこれから先も生きていけると思えました。
セルフメディア学受講後、ぼくの世界は一変しました。
1回目・2回目それぞれの経験をとおして、会社員という生き方の脆さと、この働き方ではダメだ・違う働き方をしなければ未来がないという危機感を持ちました。
この危機感のおかげで組織で働く非効率さを実感することができましたし、その後フリーになってもゆるむことなくやれています。
そういう意味では、とても貴重な経験ができました。
覚悟していれば、生きていけるよ。
人間、覚悟や思いだけでは生きていけません。
現実に考えなければいけないことはたくさんあります。
でも、「あたりまえ」と思って受け入れていることのほとんどが「あたりまえ」ではないと気が付いたときに、ぼくにはそのまま生き続けることはできませんでした。だから飛び出したんですよ。
既存の枠の中にいたら、そのままいいように使われて終わりです。1回きりの人生を他人に捧げて生きるなんて、絶対にしたくありません。「あたりまえ」から離脱して生きていくために、厳しい現実と向き合う覚悟さえしていれば、どこでも生きていけると思っています。
ぼくの生き方はヘタクソですし、全然まともにできていない部分が多いですが、今後もブレることはまずありません。それくらいの覚悟を持ってやっているからです。
だから、ぼくは敢えて自覚することにしました。
ぼくの生き方そのものが「これからの生き方」のロールモデルなんだ、と。