あるクマっぽい人は感動の敷居が低い「感動屋」です。

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ぼくは感動しやすい「感動屋」です。

突然ですが、ぼくは感動の敷居が低い「感動屋」です。

いろんなことにすぐ感動しますし、泣きはしませんし大げさになることもありませんが、感極まることが多々あります。

おかげで、芸術などに対する感情の起伏が大きいです。

でも、これってぼくの長所だと思っています。

 

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毎日いろんなことに感動してます。

毎日生活していると、ほんとうにたくさんのことに感動しています。小さいことから大きなことまで、ほんとうにたくさんあります。

ぼくは基本的に在宅ワークなので外出することが極端に少ないのですが、特にテレビを見るわけでもなく、いまは映画も見る機会が少ないので、映像を元に感動することはほとんどありません。ところが、ブロガーさんが書いているさまざまなブログ記事を読んだり、音楽を聴いたり、友人たちの現状を聞いたりしていると、ついつい感動してしまうんですよね。

「ああ、ほんとうにこうなってよかったなぁ」とか、「本人がこう言っているのだから良かったなぁ」とか、他愛もないようなことですぐにジーンときてしまって、気がついたら感動している…なんてことはよくあります。

人とあって話すとなおさらです。人と会う機会が極端に減ったので、「人と会って話す」ということのスゴさ・魅力みたいなものに改めて気が付かされている感じなんですよね。そういう機会がほんとうに貴重なことだと感じています。

会社員をやっているときは1ミリも感じませんでしたが、いまこうして立場が変わってみて、初めて気がついたことがたくさんあって、それがほんとうに新鮮です。

 

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毎日感動することがたくさん!小さくても嬉しいことには身を委ねてみませんか?

毎日忙しく過ごしていると、ちょっとしたありがたいこととか、うれしいことって、見逃してしまいがちです。

ほんとうは身の回りにたくさんそういうことが起こっているのに、それに気が付かないでスルーしちゃっているんですよ。そんなもったいない話はないですよ!

お笑い芸人みたいに極端に騒ぐ必要はありませんが、もっと感情を出して、嬉しいことには「嬉しい!」、楽しいことには「楽しい!」、感動したことには「感動した!」と言ってみませんか?

そうやって言葉に出すと、自分自身がより感動することもあるでしょうし、そういうきっかけを与えてくれた相手にも素直な気持ちを伝えることができます。

感動の大小なんて関係ありません。その嬉しさや感動そのものに身を委ねてしまって、もっと体感しませんか?