努力が評価基準?努力は目標に向かうためにするものだよ。

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努力は評価基準にあらず。

ぼくは努力を評価する人が好きではありません。

はっきり言ってキライです。

特に会社などでの仕事における「努力の評価」は意味がないと思っています。

なんでこんな上から目線的なもので他人が他人を評価するのか?ぼくには理解できません。

これって評価している人の自己満足だったり、「自分はできる人アピール」にしか見えないんですよね。あー気持ちわるい。

  • 「あいつがんばってるから、認めてあげよう」
  • 「こんなにがんばったんだから、よくやったよ」
  • 「がんばったけどダメだったね。でもがんばったよ」

なんだよ「がんばる」って。なんて不明瞭で無責任な言葉なんでしょうか。

こんな言葉を振り回す人が上司だったら、それは部下を正しく評価できない人ですよね。そんなに「がんばってる」というなら、給料とポジションを思いっきり上げてほしいですね。

 

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努力は当事者が目標に向かってするもの。

本来、努力というのは、その人がある目標に向かって行くときにするものですよね。

他人が成り代わってできるものではないですし、かさ増しすることも付け加えることもできません。目標を達成したい!夢を実現したい!と思った本人がやる以外に、努力する方法はないんですよ。

それを他者が見たときに「あいつなんかすっごいがんばっているな」と思うかもしれません。でも、それは評価ではなくて客観的に見えたものですよね。その客観的に「努力している」と見えたものを評価基準にしてしまったら、評価した人の個人的感情・思い入れなどで判断することになってしまい、平等ではなくなってしまいます。

極端な話、実績をバリバリ上げているのに寡黙な人だから評価されなくて、実績はほとんど上げていないのに「がんばっているアピール」が上手い人・上司に取り入るのが上手い人が評価される…なんていうことが起こってしまいますよ。

そんなんで良いわけがありませんよね。

 

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努力教・根性論者に耳を貸すな!

自分が達成したいことに対して努力するのはスゴいことです。

夢や希望、目標に向かってする努力は、きっとムダにはならないでしょう。

でも、それは当事者がそうやってするものです。外野が口出ししてやるものではありませんし、誰かに言われてやるものでもありません。

当事者が本気で取り組んでいることだったら、誰に言われなくてももうとっくにやっているでしょうし、これから始めるにしたって外野の言うことを聞く耳は持たないでしょう。

日本人は美談や根性論が好きな人が多いので、そういう人たちから口出しされることは多くあります。でも1ミリも参考にならないので、全部聞き流しましょう。

話を聞くだけ時間のムダなので、そんなところに耳を貸してないで自分がやりたいこと・やるべきことに集中して取り組みましょう。

時間は有限ですからね。

 

ABOUTこの記事をかいた人

1980年4月生まれ。東京都出身。ギター弾き×Webライター×プロブロガー。 ブログを書きまくってたら会社を辞めることになりました。それを期に好きなことだけして生きています。 自身の好きなこと・スタイル・考えなどを発信中。 ⇒詳しいプロフィールはこちらから。