わかり合えるまで話し合うのは時間の無駄。距離を取ってお互いに考える時間が必要。

以前、わからなければ、わかり合えるまで話し合おうという記事を書いたのですが、最近はその真逆のことを考えています。

とことん話し合っても理解が得られないなら、そこから離れてしまったほうがはるかにラクです。

話し合っても分かり合えない人はいる

ぼくは元々話し込むのが好きな方なのですが、話し合いとなるとそれなりの覚悟が必要で、そうなると結構辛かったりするなぁと毎回思っています。

その話し合いって、どちらか一方の意見を通すために行うものではないですよね?

お互いの言い分をまとめて、じゃあどうすればいいのかを決めていくのが話し合いだと思うのですが、意外とこれがうまくいかないパターンが多いです。

ぼくの伝え方・まとめ方がヘタなせいでもありますが、そもそも話し合いが通じない相手もいます。

 

これはもうどうにもできません。

相手の年齢が高ければ高いほど、話し合いが通じなければ相手を説得することもできないことが多いですが、そういう状況が見えてきたところで話を切り上げてさっさと撤退するようにしています。

そこにかける労力は、はっきり言って無駄です。

話し合ったところでなにも変わらないのであれば、それ以降はそういう話し合いをしても意味が無いと判断して、距離を取っています。

 

冷たいようですが、むしろこれって愛情です。

感情的にならないように淡々と話していても、あまりに酷いとさすがにモヤモヤしてきます。

そうなったら、まとまるものもまとまらないです。

そうならないように、ちょっと距離を取って、様子を見るようにしています。

距離を取る=見捨てるではないし、話し合うことが全てではない

話し合わなければわからないことは確かにあります。

それ自体を否定する気はありませんが、それが通じない相手がいるのもまた確かです。

話し合えない相手に対して、話し合うことは努力の無駄になってしまいますが、それなら違った方法で努力すればいいじゃないですか。

ぼくみたいに距離を取るのもひとつですし、陰ながら支援するのもひとつです。

 

なにも、距離を取ったからといって、見捨てる必要はないです。

本当に大事にしたい相手であれば、その付き合い方は色々模索するべきです。

今は通じないだけで、そのうち相手が変わって通じるようになるかもしれませんし。

話しあうだけが全てではないですから。

相手を思うなら、お互いに考える時間もまた大切ですよね。